個別指導塾を開校しようと思う

P活動を経験し、
「なんとか地域児童と関わっていけないものか」
と思うようになり、思案しているうちに
FC塾に加盟しようと思うようになった

私自身、たいして勉強はやってこなかったが(^_^;)
勉強を通じ、自分の可能性を感じたり…

以前「最近は夢を語らない子が増えた」と、
校長先生が言っていた事を思い出し
子供が夢を見られる一助になりたいと素直に思った。

なんとか地元で開校したいのだが…
既存の教室と被ったりで、なかなか進まないσ^_^;

子供の気持ちを思う

「子を思う」というのは、「子供の気持ちを思う」
子供の気持ちを思い遣るという意味だと気づかされた

私も含め大抵の親は、子供のことを思い、
時に助言をし導こうとするが、
時として「子を思う」自分の気持ちの押しつけになりかねないことがある

子供が何を感じ、何を考え、何をしたいのか
親がそのことに思い遣らなければ、子供もバランスを保つことが
難しくなっていく、ストレスをためていく

気を付けよう・・・と、ふと思った

久しぶりですが

気がつけば此処も放置しすぎましたσ(^_^;)
身近な事件を経験し、私でも何か出来ないかと
つらつらと綴りたくなって復活です

なんびとも一島嶼にてはあらず。
なんびともみずからにして全きはなし。
人はみな大陸(くが)の一塊(ひとくれ)。本土のひとひら。
そのひとひらの土塊(つちくれ)を、波のきたりて洗い行けば、
洗われしだけ欧州の土の失せるはさながらに岬の失せるなり。
汝(な)が友だちや汝(なれ)みずからの荘園の失せるなり。
なんびとのみまかり(死ぬ)ゆくもこれに似て、みずからを殺(そ)ぐにひとし。
そは、われもまた人類の一部なれば、
ゆえに問うなかれ、誰(た)がために鐘は鳴るやと。
そは汝(な)がために鳴るなれば。
(大久保康雄訳)

皆んな繋がっている、他人事ではない
遠いニュースではなく、いつ身近に起こるかわからない
加害者にも被害者にも

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